根暗

 

わたしはまあ、たぶん、いわゆる根暗というアレなんだろうと思います。

 

お会いしたことがある人はご存知だろうけど、わたしはまあ、結構、よく喋ります。喋るというよりべしゃるという方が正しいんじゃないかというくらい、よく喋ります。

声も大きい。そう、声、めっちゃ大きい。デカイ。生まれつき声が通るんですよね、これが。

あとまあ、顔とか態度とか、いわゆる印象というやつに影響するものであんまり性格が暗そうな要素はないと思います。知らんけど。まあ、だからこそ根暗なんですけどね。

 

自分のこと、根暗だな〜〜〜って思う時、その一。お酒を飲んだ時。

 

お酒を飲んだ時って、まあ、あれじゃないですか。こう、ワァ楽しい〜〜〜ってなるじゃないですか。

わたしもね、なるんですよ。ある程度。なることはなるんですよ。介抱役ポジションの方が圧倒的に多いし、介抱されたことなんて本当に数回しかないと思うんですけれども。

 

わたしだってお酒飲んだら楽しいですよ。ビール最近すぐお腹いっぱいになるけど。ちなみによく飲むお酒は角ハイ、鍛高譚緑茶割り通称たんりょく、鍛高譚の梅酒のソーダ、です。鍛高譚の梅酒はマジでうまい。薔薇の梅酒もうまいよ。朝摘みの薔薇梅酒は不味いから注意してください。

 

で、お酒飲んだら楽しいのになんで根暗って話に繋がるか?ってところなんだけど、わたし、お酒を飲んで少しだけ楽しくなった後に一気に気分が落ち込みます。

 

いわゆる泣き上戸です。

 

本当に泣いたことはそんなに多くはないんですけど「ヤバイ……酒抜けてきた……落ち込む……これ落ち込むやつや……帰ろ……」ってなったことは多々あります。

 

深酒をするとめっちゃ懺悔します。

いつぞやのわたしの誕生日の祝いの席で、わたしは机に突っ伏してマブダチ二人に泣いて詫びてたことがあります。本当に泣いてました。マブダチ二人は笑い上戸なのでそんなわたしを見てめっちゃ笑ってました。楽しかったです。いい思い出です。

 

あとね、あれね、お酒飲むと油断してやたら難しい話をしだすことがあるよね。

みんな何故死を恐れるのか?そもそも死とはなんなのか?死んだらどこへ行くのか?死について知る術はないのか?とか……いやうーん、これは嘘かな、嘘というほどでもないんだけど、生と死バージョンより愛と性の哲学バージョンの方が多いかな……嫌過ぎ……

 

でもね、お酒飲むの好きですよ。楽しいし。そもそもわたしが泣くのはお酒が抜けてきた時なんで、断続的に飲み続ければ実は回避できるんですよね。

でもそれめっちゃ恐ろしいね。

一度酒を飲んだら家に帰るまで抜けることなく飲み続けなければいけないってね……恐ろしいね……

 

お酒を飲むことって元気の前借りだと思うんですよね。だって抜けたらめっちゃ寂しくなるもん。ならないですか?わたしだけですか?

お酒って魔法使いじゃないんですよね〜

だってないエネルギー作れないもん。質量保存の法則に従ってると思うんですよね人間は。本当はあるんだよね、酔っ払いモードを作るエネルギーが普段から眠ってるんだよね。

 

なんでお酒の話してるんだっけ。まあいいや。

まあでも、あれですよ、本当はお酒なんか飲まなかったっていいはずなんですよ、本当は。

 

とかなんとか言いながら今日も缶ビール飲みながら帰ります、寂しいこともまた一興。人間一人にならないとできないこともある。根暗最高、根暗万歳。傷は舐め合うべきだし、ない傷を舐め合うことだってダサくとももしかしたら生産的なことに繋がるかもしれないし。知らんけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

生と死についてっぽい



「見舞いには来んでくれ」と父親はわたしに短いメールを寄越した。

このご時世でラインをしていないのはわたしが普段連絡を取り続ける人間では父親くらいなものなのでつい確認が遅れてしまって、あやうくI市市立病院まで行ってしまうところだった。別に母親の病気はわたしのせいじゃないし、わたしは確かに家を出て久しいけれど、母親のことを忘れたわけでもないのでちょっとあんまりじゃないか、と思ったのだけれど はい、とだけ返した。
別に母乳が忘れられないわけでもないし、実際わたしたち姉弟は母乳で育った訳でもないらしいが、この世にはもう母親の右側の乳房が存在しないことを、無意識のうちに気にしているのか、右の鎖骨の下あたりを押さえる癖が付いた。

がんの花、というものをご存知だろうか。見たことがない方が幸せだろうと思うし、見たことがある方は思い出したくもない苦い経験だと思うけれど、少しだけ説明すると、悪性腫瘍が花開くように皮膚を突き破って芽吹いたかたまりである。画像検索は非常におすすめしない。
職業柄わたしは稀に目にするのだけれど、一度特大の乳がんの花を見たことがあり、その大きさはその人の頭部よりも大きかった。詳細について書くのはやめておく。流石にグロテスクすぎるからだ。

「本当にありがとうございました、きつかったでしょう。立ち会えなくてすいませんでした」と、喪主さんにはそう言われた。

喪主さんが息子さんだったのか、甥ごさんだったのかわたしにはもう確認する術はないけれども、近い血縁の彼にさえ耐えられない見た目だったり匂いであったりするんだから、本当におそろしいな〜とわたしは正直半泣きだった。

本当に見た目も匂いもきつかったのだけれど、それ以上に、自分の血縁が自分とは違う生き物であるかのようなおそろしい姿に変わり果ててしまうことがあって、それは決してひとごとじゃないということが、理解は出来ても納得は出来ず、鼻がつーんとするのを必死で堪えた。

生きているうちは大丈夫だったんだろうか、もしそうなら、生きているのと死んでいるのとでは、身体の変化とわたしたちの認識の変化、どちらが大きいんだろうか。

わたしの中で実は答えはとっくに出ていて、いつもちょっと泣きそうになる。
お見舞いには行かないけれど、母親が実家に帰ったら、顔を見に行こうと思った。